not simple

デザインと言葉の実験です

2016年によく聞いてた音楽

2016年もそろそろ無となりますが、みなさんは無でしょうか?

私は無です。

無なので、iTunesの再生履歴を見つつ、よく聞いていたアルバムをまとめるという遊びをします。

公式にYoutubeあがってるものはソレをアレします。

雨のパレード 「You」

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雨のパレードは「残響record Compilation vol.4」収録の「ペトリコール」が好きでよく聞くようになったのですが、内省的だったり、逆に音楽シーンを切り開いていくんだみたいな挑戦的な曲が多い中で、はっきりと「あなた」に向けて作られた曲で構成されているという印象です。表題曲「You」は雨のパレードの曲の中では一番好きです。

THE NOVEMBERS 「Hallelujah」

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Youtube貼ったのは「黒い虹」という曲。ギターでぶん殴ってくる感がすごい。小林祐介さんの髪短い姿にまだ慣れませんが、もう孤高感すごい。

ART-SCHOOL「Hello darkness, my dear friend」

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ART-SCHOOLのすごいところは25年間変わらずおんなじこと歌ってることだという持論があり、CDだとおとなし目の曲もライブだと全部爆音でやるので曲の区別がつき難いという経験があります。このまま突き進んで欲しいです。

Plastic Tree 「サイレントノイズ」

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Plastic Treeはなぜか学生時代からずっと聞いていて、曲も好きなんですが有村竜太朗さんの歌詞が好きで聞いているというところもあります。表題曲のサイレントノイズもいいんですが、2曲目の「静かの海」が圧倒的に最高です。

有村竜太朗 「デも/demo」

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流れでPlastic Tree ボーカルの有村さんのソロアルバム。貼ったのは「恋ト幻 / rentogen」という曲ですが、大好物であるPeople In The Box波多野裕文さんがアレンジしてたりします。ベースとドラムが元Chouchou merged syrups.だったり、ギターもte'のhiroさんだったり、もう有村さんは残響でやればいいんじゃないか説があります。ちなみにPeople In The Boxも、もともと残響です。

THE NOVEMBERS の小林さんが参加している曲もあり、好きなバンドの人たちが集結してるというのもあって、もしかしたらリリース後一番聞いてたかもしれません。そして有村さんは年齢という概念を超越してしまったという実感があります。

VOCALOID Fukase」

www.youtube.com

アートロックの流れの中で、突然のボーカロイドですが音楽については雑食なので仕方ありません。「蘇州恋慕」は歌詞のキュンキュンする感じがたまりません。Fukaseさんはボーカロイドとして抽象化してしまってもよいのでは、という学びがありました。

Awesome City Club 「今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる」

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今年はこういうコンセプチュアルなグループが豊作だったという思いがあります。聞いてて楽しいは正義です。

04 Limited Sazabys「eureka」

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どのアルバムも良いんですが、今作はもう全曲シングルでいいんじゃない感が強いです。

星野 源 「恋 」

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星野源の楽曲については、だいたい右チャンネルの長岡亮介さんのギターの変態感を追いかけるという極端な楽しみ方をしていますが、すいません、逃げ恥はちゃんとみてません。でもすごく良い曲です。コード進行が結構鬼。


なんか性癖をさらしているような実感を得ました。

さようなら。

コーポレート・アイデンティティについて

この文は、年始に会社でコーポレート部門にデザインの話をするという機会が発生したため、せっかくだしコーポレート・アイデンティティ(CI)の話をしようかな、という安易な発想のもと書かれました。

わかりやすさ重視のため、学術的には不正確な表現を多用しますが、どうぞよろしくお願いします。

そもそもの話

CIの話をすると「ロゴガイドラインを守ってればいいんでしょ」みたいな話になりがちです。僕がデザイナーであるというのも悪影響してると思います。一貫したロゴやデザインを使用することは、CIをマネジメントする手段に過ぎず、本質ではありません。

CIとは

CIとはなんなのか?

CIは色々な分野で研究されていて、その研究分野ごとに少しずつ違う解釈があったりしてつらいのですが、ここでは単純に「企業の同一性」という概念のこと、として話を進めます。

もう少し崩していうと「企業の人格・立ち振る舞い・見た目・印象」のことです。雑にいうと個性です。

企業を人として考えるとわかりやすいと思います。人の個性は遺伝子と環境によって自然と作り上げられていくものですが、企業の場合は戦略的に意図的にコントロールする必要があります。

CIを構成する要素

諸説ありますが、理念・行動・シンボルの3要素が抽出できるかと思います。

理念

経営理念・企業理念・ビジョン・ミッションなどと呼ばれるものです。その企業が何を目指し、社会の中でどういう役割を担っているのか、明文化したものです。

いくつか例を。

アマゾンジャパン株式会社
地球上で最もお客様を大切にする企業であること

引用元:http://amazon-jp-newgrads.com/message

株式会社サイバーエージェント
「21世紀を代表する会社を創る」

引用元 : https://www.cyberagent.co.jp/corporate/vision/

鳥貴族
「焼鳥で世の中を明るくする」

引用元:http://www.torikizoku.co.jp/company/philosophy/

このように抽象度が高いものから具体的なものまで様々ですが、CIを考える上で最も大事な根本となる要素です。

ちなみに個人的に一番好きな企業理念は以下となります。

株式会社バーグハンバーグバーグ
がんばるぞ

引用元:http://bhb.co.jp/company

行動

企業内外での全ての行動のことですが、CI設計においては「働く人にこうあってほしい」という指針を作ります。これは企業文化を育てる最初の一歩となります。

この指針をもとに、企業内で働く人が行動をし、多様な価値観が混じり合い、時間をかけて社風が熟成されます。

こちらは理念に紐付いた形で、

  • バリュー
  • 行動指針

などを設定します。図らずも最も有名になってしまった、電通鬼十則も行動指針の一種ですね。

電通「鬼十則」、そして電通「裏十則」 - GIGAZINE

企業内部への浸透を早めるために、できるだけ具体的に、数を絞って設定することが望ましく、最もマネジメントが難しいところです。

啓蒙・浸透度のチェック・見直しのサイクルを繰り返す必要があり、かつ企業のトップレベルからの強いメッセージが必要です。

シンボル

ロゴ・色などのビジュアル表現や、言葉遣いやキャッチコピーなど、雰囲気に関わるところまで含まれます。

例えばAppleのデザインは一見してAppleのものだとわかりますし、日本においては言葉使いも独特です。

MacBook Pro
指先に、さらなる才能を。

引用元:http://www.apple.com/jp/mac/

iPhone 7
これが、7。

引用元:http://www.apple.com/jp/iphone/

いさぎよさ。 これを「iPhone 7発売中!」とは書かないわけです。

これは企業としての立ち振る舞いを定めるものです。一般的にCIといえばビジュアル表現がピックアップされがちですが、あくまで一要素に過ぎません。

CIが必要なのはなぜか

ではCIが企業に必要なのかを、いくつかの観点で書いておきます。

経営戦略として

競合他社との差別化を行い、自社の価値を高めるためにCIが必要という話です。

こちらは前述のビジョン・ミッションなどが該当しますが、事業の拡大(もしくは縮小)のときにそれがCIとぶれていないのかというチェック機構となりえます。

前述の鳥貴族であれば、焼き鳥以外のものを焼き始めたら危ない、ということです。例が極端すぎますね。

企業ブランディングとして

こちらはわかりやすいです。こちらは前述のシンボルが該当し、繰り返し共通のビジュアルを使うことで、企業の認知を高めます。

リンゴのロゴ見たらAppleマクドナルドと聞けばMのマークと赤と黄色を想起するでしょう。

これは時間がかかりますし、デザインに対する一貫性と強い思いが必要です。

コミュニケーションとして

企業ブランディングとも関連しますが、企業としての立ち振る舞いを統一し続けることで、一定のイメージを定着させ、レピュテーション(長期的に構築される名声や評判)を得ることができます。

聞き慣れない言葉かもしれませんが、一般的な意味で使われる「企業イメージ」として考えても良いでしょう(怒られそう)。

「堅そうな会社」
「先進的な会社」
「接客が良い会社」

このイメージは、ユーザーはもちろん、企業にも発生しています。企業が一貫した行動をとり、企業のイメージが事前にわかっていると、コミュニケーションが取りやすくなります。

人対人でも初対面は緊張する、というのと同じです。おそらく、会うたびに言ってることが違う人と一緒働きたい人は少ないので、終始一貫した行動をとるためにもCIは重要です。


他にもマーケティングの観点や、組織づくりの観点から書こうと思ったのですが、重複もあるし長くなりすぎたのでここらへんです。

まとめ

CIを考える上で大事なのは、理念・文化・シンボルであり、いわゆるビジュアル表現みたいのは手段であって目的ではありません。企業が人格をもって動けるために設計されるのがCIという話でした。

また、CI設計は間違えることが当然あるので、マネジメントが必要なものです。CIマネジメントについてはまた書きます。

それでは!

作り手の愛がサービスを殺す

これは結論がないため駄文です。

インターネットのサービス、特にコミュニティと呼ばれるサービスをたくさん作ってきたのですが、作り手のサービスへの愛情の過多がサービスを無にしてしまうことがあるという経験があります。

もうすこし具体化していうと、動き出してしまったサービスに作り手の強い意志、すなわち「このサービスはこうあるべき!」的な意志が介入すると、使い手であるユーザーの意図とそぐわない場合が多く、やがてユーザーは離れ、サービスはゆるやかに死を迎えるという話です。

BtoCのサービスにおいて特に顕著だと思うんですが、作ってしまったサービスがユーザーにどう使われるなんて、想像はできても予測はできるはずがないわけですので「このサービスにはこうあってほしい」という思いは作ってる時にはいいんですが、世に出たら思いは柔軟に変化するべきなのでは、と思います。

例えば少なくとも日本において、twitterが情報収集のツールとしての役割とポエムの吐き出し口としての場を兼任することになったり、Facebookがおじさんの日記として若い子に認識されたり半ばビジネスツールになるなんて、作り手は予測できてなかったはずです。使い手の自由意志がサービスのあり方を決める、というのは当たり前だけど作り手としては忘れてはいけないことなのだと思います。

ちなみに、ここらへんの話については引用のリンクが詳しくてこれは教科書に載せるべきという主張があります。 note.mu

スタートアップとかではサービスへの愛 is 創業者の想いであるべきだなと思うものの、サービス愛は本来は使い手から得られるべきであって、作り手の過剰な愛は子離れできない親が子供の健全な成長を阻害するするような感じがしてアレがアレしてアレです。

よく漫画家さんが「キャラが勝手に動き出す」みたいなことおっしゃているのを拝見しますが、サービスもこんなもので、世に出た時点で作り手の思惑なんてよそに勝手に動き出すものなんだろな、と思います。

とはいえ、作った人からみればサービスに愛着湧くし執着しちゃうのはわかるので、仕組みで解決したいところです。新規開発チームとグロースチームを分けるとか。それなりの規模が必要になってしまうので難しいところなんですが。

結論はありません。

僕の行動指針

この記事は「行動指針 Advent Calendar 2016」の7日目の記事です。今日は7日目ですか?

自分の行動指針について5つほど書きます。

秩序より混沌へ向かう

秩序のある状況より混沌としている状況を好む性質があるため、自分を安定したところに置くのを避けています。こういう場の方が成長できる、みたいな観点もあるんですが、整然としている場では飽きちゃう、みたいな単純な理由でもあります。飽き性です。

自由な意志を尊重する

自分が表現や思想や行動の自由を阻害されたり制限されたり、されてる人やしてる人をみると、ひどく哀しい気持ちになったりするので、人の自由意志を尊重したいという想いがあります。なにか判断をする時には、それが自身や他人の思想や行動を阻害しないか、という考え方をします。

ダサくないこと

これは単純に見た目の話だけではなく、行動についてもなんですが、なんにせよダサくいたくないよなあ、という気持ちがあります。すごく主観的な判断基準になるので具体化が難しいんですが、ダサいな、って判断したヒト・モノ・コトからは距離を置くようにしています。

そこには無があります。あなたには無がありますか?

なんとかなるからやってみる

どんな問題も課題も向き合えば意外となんとかなっちゃう、という考えです。考える前にやっちゃえよ、という思想でもあります。なんとかなります。


途中にノイズが混じっていますが、これが僕の行動指針というか思想です。

「この世界の片隅に」を見て無が生まれた話

konosekai.jp

見てきました。

個人的に★は無です。


戦時中の呉でつつましく暮らす女性の暮らしを描いた映画で

話自体は良くできていて

構成も2時間以上のアニメーションなのに

飽きずに見れたので

そこはすごいなあ、と思うものの

なにか始めから主人公の仕草に

あざとさというか現実感のなさを感じてしまい

まったく感情移入ができなかったんですね。


どんな映画もそれなりに楽しめる人なんですが

見ている間ずっと★2くらいだなーって感じでみていて

なんでかなーと考えてみたんですが



内省の結果、2つあり



1つ目はおそらく登場人物の

「自由意志の欠如」で

これは戦時中の話なので致し方はないと思いますがもやもやします。



2つ目の方が決定的で、なんか要所要所に

「感動の押し売り」

みたいな印象を持ってしまったんですね。

ネタバレになるので要所を書くのは控えますが

作り手の意図を強く感じてしまい

入り込めなかったという類のそれです。


ずっと★2でみてたんですが

映画のラストもご都合主義感あったのと

スタッフロールあとに

クラウドファウンディングでご協力いただいたみなさま、を

延々と見せつけられる苦行があり

なんか頑張って作りました!感を

出された印象があって

★が無になりました。


完全に

僕のひねくれたものの見方のせいで生まれた無であり

あとお話自体はふつうに面白いと思いますので

この世界の片隅に

おすすめしています。

心理学科を卒業したらデザイナーになってた話

今のチームには大学生のインターンが3名来てくれていて、新卒の就職活動とか大変そうだなー、と思ったので過去を振り返ってみるという実験です。

大学時代

某W大学の「文学部」心理学科といういびつな構造のところに4年間いました。

行動心理学とか認知心理学とか中心に学んでいましたが

まあ何をやっていたかというと統計学とネズミ小屋に篭ってひたすら実験するということです。

あとバイトしてた。

青春とは?

けっこうちゃんと就活

大学3年目になると自然と就活しよう、って気持ちになるもので

割とセミナーとか説明会とかちゃんと行ってました。

心理学を勉強していてその流れで仕事にするのって

当時だと臨床心理士とかそのまま研究職みたいな道しかなくて

なんとなく、中高から好きだったインターネット関連に

進むのかなー、とふわっと思ってたので

だいたいそういう企業にお話し聞きに行ったりしてました。

内定

まあ面接って出会いのものというのと、数打てば当たるということで

某インターネット関連のスクールだったり制作をやっている企業に内定を頂きました。

内定者バイトを大学3年の後半くらいからしていたのですが

思えばこれがデザイナーとしてのキャリアのスタートでした。

そこではWebデザイン関連の講師やったり

(なぜか後半はJavaとかDBとかサーバーの授業もしてた)

ホームページ作ったりしてたのですが

(典型的や闇受託案件)

そろそろ大学卒業が見えてくるタイミングで

なんかちがうな、と。

もうちょっと人の目に触れる

なんか

作りたくなったんですね。

まあ諸々事情が重なったというのもあったんですが

大学卒業直前で内定辞退。

もう一回就職

で、そんなタイミングなので

もちろん新卒採用の手札も残ってなく

就職浪人するより早く働きたいという思いがあって

たまたま転職サイトで見つけた

当時成長中だったWeb広告業界がデザイナー採用してて

面接行ったらすさまじいベンチャー感で

面白そうという判断で

入社しました。

内定辞退からここまで多分1ヶ月もかからなかったので

新卒採用ってやっぱりちょっと異常なんだろうな、って思いました。

採用にかかる長さも、あの人を選別するような雰囲気も。

その後

その会社は所属が8年と長くて

広告デザインやったり

受託のデザインやったり

自社メディアのサービスデザインやったり

ディレクションやったり

マネージャーやったり

十数人の非デザイナーをデザイナーに仕立て上げるという

謎の仕事もやりました。

どれもこれも最初は戸惑いながらも

まあやればなんとかなるんだな、と思います。

その後のその後

ほぼ会社の立ち上げメンバー的に仕事してて8年経過して

そうするとどうも

だんだん仕事がマネジメント寄りになってくるんですね、不思議と。

マネジメントって仕事はめっちゃ好きなんですが

なんかそろそろ手を動かさないと

錆びるな、と思い

転職して

今、インターネット界隈でデザインするおじさんになってます。

まとめ

なんとかなります。

(ちなみに新卒採用の時にお祈りされた会社に転職しました)

餃子と中毒

餃子は世間でよく知られているように中毒性のある危険な食べ物です。

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餃子は麻薬

餃子のその強い中毒性によって身を滅ぼし、社会的な立場を失った人を数多見ているので、法による規制が必要であると考えているのですが、国は動いてくれません。政治とはなんなのでしょう。私にはわかりません。

最近後輩の女子に「Pairsは麻薬です」(※1)という金言をいただきましたが、餃子も麻薬です。 (※1)Pairs はマッチングサービス、まあ純然たるただの出会い系です

餃子への管理と難しさ

餃子は定期的に摂取しなければ体内の霊子が減少し、人間として個を保てなくなるという学術的な知見は存在しますが、それであれば国の仕組みとして定期的な餃子の供給、それこそ予防接種や健康診断のような枠組みを用意して餃子の体内への取り込みについては国家レベルの管理が必要と考えています。

一度摂取すると定期的な摂取が必要であり、足りなくなると人間として個を保てなくなるという点で、餃子は麻薬と同等に捉えられてしかるべきなので管理が必要です。

ですが、餃子には地域独特に発展したものや、味のバリエーションが数多存在し、それぞれに独自の信仰が存在するという独特の問題を抱えています。

都内在住の人間が「ちょっと宇都宮まで餃子食べてくる」とかいう事例を過去に何度か確認していますが、餃子というどこでも食べれる料理を各駅停車だったら2時間はかかる距離を移動して食べに行くという、この異常性はなんとかしなければならないという強い意志があります。

もちろん「餃子を食べたい」->「宇都宮で餃子を食べる」という一連の体験自体に価値を見出すというUX的な論考も期待されますが、うるせえよ、という感じで棄却します。

結論

早急に対策が必要なのは、餃子という場合によっては危険物になりうる食べ物に、国としての一貫した共通見解を与えた上で、法、つまりキングダムでいうところの「国民にどうあってもらいたいか」を作るべきだと思っているくらい今餃子食べたい。