not simple

デザインと言葉の実験です

カレー南蛮そば

年始からデザイン系の話はnoteに寄せてくという遊びの結果、更新が滞っているブログです、こんにちは。

noteの方はこちらで

note.mu

比較的真面目に書いてしまっているというのがあり、文体を破綻させることができないのでつらい。

カレー南蛮そば

で、本題のカレー南蛮そばについてですが、よく知られているように、週1くらいで摂取しないと魂の破綻を招くことが知られている食べ物のひとつです。定期的な摂取を怠った結果、精神に異常をきたしてしまった作家といえばトルストイラブクラフトが有名ですが、彼らの名誉のために書いておくとこれは嘘です。今考えました。

本質

カレー南蛮そばの本質的な魅力とはなんでしょう?それは背徳感であるといえます。

カレー南蛮そばを食べるとき、人は背徳的なことをしているような体験を覚えます。店主のこだわりにより丁寧に作られた香り高いそばに、カレーというまた香りの強いものを合わせて食べる、これはそば、そしてそれを作った人に対する冒涜であるといえます。前述の背徳感はここからきているという論説が主流ですが、出汁の風味強めだったら別によくね?という派閥もあり、争いが絶えません。人は争う生き物です。

多様性

争いの話といえば、カレー南蛮そばに使われる肉として、鶏肉を使うか豚肉を使うか、という論争が古くから存在しており、宗教的戒律という要素も組み合わさり、長らく収拾がつかない事態となっています。少数ですが、肉を使わなければ良いという過激な派閥や、羊肉や牛肉を使うべきという派閥も存在しますが、前者のカレー南蛮そばのがっかり感、後者のコレジャナイ感が強すぎるため、カレー南蛮そばの国際会議でもそもそも議題に上ることが少ないという現実があります。

多様性が失われていく過程をカレー南蛮そばで見ることができ、社会学的には重要なサンプルであるということを付け加えておきます。

期待

カレー南蛮そばを食する人の期待は様々で、重要視されるポイントが違うのですが、大きくわけて「出汁偏重型」「カレー偏重型」に分けることができます。前者については通常そばを食される際に用いられるカツオや鯖節でとった出汁の味がたつことを重視しますが、後者ではカレーに使われるクミンやカルダモンなどのスパイスの香りが立つことが重視されます。

そばとの相性を考えた場合、後者の方は異端とされ、前者の方が優位と考えられますが、そば屋の店主というのは素材にこだわりを持つ人が多いという傾向があります。ちなみに素材にこだわり、打ち方にこだわり、食べ方にこだわり、客にそれを強制するようなそば屋は滅びることが約束されていています。

そのような店の場合、いざカレー南蛮そばを作ろうとしたときに、スパイスにこだわり始めてしまうことも多く、本格的なインド・パキスタンカレーのような香りを持つカレー南蛮そばを生成してしまい、店主の左足が持っていかれてしまった、という報告がなされたことあります。悲しいことです。

終わりに

最近会社の近くで食べたカレー南蛮そばなんですが

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「パプリカ・ナス・ポテト・鶏肉」の組み合わせでかつ「カレー偏重型」のものだったので悲しみが生まれ、この記事が出来上がりました。

普通のカレー南蛮そば食べたい。

松茸×肉

正月にすき焼き食べる文化があるというのをこの歳になるまで知らなくて、なんとなくやってみようという流れがあり、せっかくやるんだったらなんか変化をつけたいなと思ったのですが、味自体をアレンジすると期待値はずしてコレジャナイ感出そうだなという予防線の結果、肉以外の分量をよくわかんない感じにする、という解を得たので、結果です。

参考はご察しの通りで、今最も熱い料理漫画(?)「飯にしましょう」の2巻18膳に登場している「松茸すき焼き的なもの」で、この漫画は基本分量が記載されていないので参考なるかは微妙ですが、最高なんでみなさん買いましょう。

まずは松茸ですが、1kg発注してます。

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これは肉です(そんな高くない)。

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ちなみに松茸はシーズン外なので当然冷凍ですが、肉300gに対して600g使用されています。倍量でいってます。このバランスが今回の頭のおかしいところです。

冷凍だと香りどうなのかなと思ったんですが個々の香りは弱いものの、ぶっちゃけ物量でカバーでき、むせかえるくらい松茸臭します。これが集団の力です。

半解凍して切るんですが、この時点でもう手が松茸匂でむせかえるほどひどい。

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準備。

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ちょっと焼いて香りを出してから

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割り下オン。

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割り下は別で作っており、醤油と砂糖と正月飲み残した酒、あとなんとなく白だし入れました。なんか白だし入れとけば大丈夫だろうという信頼感というか怠惰です。分量はなんかいい感じにしておけばいいですが、あとで卵にコーティングされるので割と甘さとか濃いめにしておくとリカバリーも効くのでいいんじゃないでしょうか。


一撃目は煮るというより焼く感じで。

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はい。

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すごく知能指数の下がる味がしており、人間が終わってしまいました。


二撃目以降は知性が働いていないため

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もはやよくわからなくっており、わからなくなっています。?わからない?わからないとは?

今回は松茸x肉を頭おかしい分量でやる、というのが主題だったので野菜はネギだけでしたが、葉物として春菊とかあったほうが当然完成度は上がるはずなので次回以降はそうしていきます。次回はあるのでしょうか。人生はわからないです。

神の庭

これは神の庭の話です。

この庭の神はいつでも無口で不機嫌なので、使用人はいつでも神経質でした。

庭にはいくつかの美しいトチノキがあり使用人のレストルフはそれの手入れをしていました。 他の多くの使用人と同じようにレストルフは神経質で、トチノキがいつでも素晴らしい形状を保つように、それぞれの枝についている葉の数を同じにするほど気を使っていました。

また庭には美しく整備された芝生があり使用人のオッカムはそれを美しく管理していました。 レストルフと同じようにオッカムは神経質で、芝生がいつでも美しい緑を保つように、ひとつひとつの葉を手作業で毎日ふいていました。

ある日レストルフがいつもの神経質な点検を終えて、しばらくの休憩をとっている間に、庭の芝生を管理している使用人のオッカムがカミソリでトチノキの葉を切り落としてしましました。神の芝生に影ができていることに怒ってのことでした。

トチノキは枯れて、レストルフは管理不行き届きとして神の怒りに触れ、足を切り落とされてしまいました。オッカムもトチノキを枯らした原因を作ったとして、2度とカミソリを使えないように腕を切り落とされてしまいました。

時を経たずして、庭の芝生も台無しになってしまいましたが、神は新しいトチノキと新しい芝生の管理人を用意しました。 神の庭はたちまち元どおりになり、神の庭はいまも美しいまま保たれているということです。

2017年振り返り / デザイナーとして

ひさびさにブログを更新しているということで年末暇なんだなこいつ、ということが予想されますがその通りです。デザイナーとしての今年の振り返りを書きます。

お仕事としては飽きもせず、2017年もデザイナーとして過ごしたのですが、振り返ってみると今年は特にいわゆる「見た目のデザイン」みたいなとこ以外のデザインを重点的に考えやっていた気がします。デザインチームの構築、メンバーの成長、組織全体へのデザインの浸透、みたいなところが主だったところです。

デザインチームの構築

2017年はじめ、現在所属している組織ではデザイナーが数名所属していたのですが、プロジェクト配置型になっており、デザイナーの横断的な組織がなく、ゆるい横断的なつながりが存在するのみでした。人によってはデザインの仕事が無くなってずっとリサーチとか資料作成やっていた人もおり、悲しみがありました。

プロジェクトにデザイナーががっつりはいってやること自体は賛成派なのですが、往往にして「アサインされたサービスが成功している is デザイナーとしてすごい」という評価になりがち、かつ逆も然りになるので、本当に優秀でスキルのあるデザイナーを適切な配置にできなかったあげく、組織として失うのはリスクじゃない、という危機感があり、偉い人にお願いして組織化した、という経緯があります。

その時の思いがブログで残ってました。振り返り感あります。 ottiee.hatenablog.com

で、だいたい組織一年回してきて、まあ概ね良かったんじゃないかな、という思いがあります。それなりにデザインチームも認知されてきて、社内だけでなくグループ会社からの依頼とかも増えてきて、ちょっと人足りない感すら出てきているので良い傾向です。デザインの大事さ、みたいな認知も少しずつ上がってきてるんじゃないかな、多分。

メンバーの成長

チームのメンバーにタスクをお任せすることが多くなっています。もちろん信頼の上でやっているわけですが、成長軸の観点が大きいと思われます。特に最近顕著なのですが、自分の成長よりメンバーの成長をがモチベーションになってる傾向があり、後輩のデザイナーがいいデザインを提出してくると自分がデザイン作って採用されたりするより嬉しくなったり、ディレクションよりの業務を任せた時にうまく回したりとか、会議のファシリテーションがうまくなったりとか、そういうのが仕事のモチベーションの主軸になってきています。なんか老いている感があり、そろそろ死期が迫ってるんじゃないかな、と書いてて思いました。

組織全体へのデザインの浸透

前述二項と関連しますが、これも意識的にやっていたことでした。勉強会やったり、社内掲示物やグッズを作りまくったり、会社のエレメントを変更してみたり。見た目のデザインも大事だし、業務の設計や組織のあれこれもデザインの範疇というか本質で、やりきれてないですが、組織全体で少しは意識向上したんじゃないかな、とは思ってます。継続的に、かつ深度を深めて取り組む来年の課題です。

まとめ

来年も頑張るぞ。

横浜トリエンナーレ2017

http://www.yokohamatriennale.jp/2017/

このブログ書いている2017/11/05が最終日の横浜トリエンナーレ2017

色彩豊かでよかったので、撮った写真を貼っていきます。

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前回のトリエンナーレは難解すぎて

「うーん」という感想しか生まれなかったのですが

今回はなんかよかったという感想があり

なんでかなー、と思ったりもしたんですが

ここらへん結構個人的な趣向と当日のコンディションの問題が大きいというのが

なかば確信に近くあったりするので

食わず嫌いせずいろいろいくのが良いのかなと。

SketchやPhotoshopにおける美しいデザインデータと陥りがちな罠の話

この文は自分のブログ更新滞っていると、デザイナーの同僚にブログ書いて発信しなよ!と促す時の説得力が無になるため、神の強い要請により半ば強制的に書かされているものです。なので、完全にUIデザイナー向けの話になります。

美しいデザインデータ

SketchやPhotoshopなど、デザインの作業用データについては、レイヤーやページやアートボード、シンボルやアセットなど、作業を効率化するための手段がいくつも用意されています。これらを適切に用いることで作業の効率化を図ることができます。

例えば、レイヤーやページやアートボードが適切な命名・設計をされている場合、チームメンバーに共有も無駄なくスムーズでしょうし、シンボルやアセットを活用すれば、急なUIデザインの変更や複数ページにまたがる調整・共有も効率的に行えます。

「可読性に優れ、修正変更に対応力のあるデザインデータ」というのが、ここでいう「美しいデザインデータ」です。

なぜ美しいデザインデータをつくるのか

理由としては経験上ふたつあり

  • 案件に対しての瞬発力があがる
  • デザイナーの考える時間をふやす

というのがあります。

前者に関しては、

「バナーの画像差し替え、明日までに80本どうにか」 「ページ内モジュールのレイアウト調整、明日の会議までにどうにか」 「ロゴの差し替え、今日午後一の会議までにどうにか」

というあるあるに対応できる、というのがあります。「可読性に優れ、修正変更に対応力のあるデザインデータ」があれば、少なくとも数人デザイナーがいる組織なら対応はできます。例にあげたような事案を引き起こす根本的な問題には目をつぶってください。

後者に関しての方が大事なのですが、効率的に「作業」ができることでデザイナーは「考える時間」を相対的に増やすことができます。また、適切な設計をされたデザインデータはデザイナーとエンジニアのコミュニケーションコストを下げるので「可視化されないタスク」を減少させることができます。

案件に対して、求められている明確な意図や目的を理解しないまま、大きなデイスプレイの前であれこれツールをこねくり回す、つまり盲目的に作業してしまうのは壮大な無駄である、という派閥にいるので「何がユーザーに求められ、最適解はなんなのか?」それを考える時間を確保するために、効率化されたデザインデータが整理され美しい状態が担保されているのが良いと思っています。

陥りがちな罠

ここが本題です。

ここでいう「美しいデザインデータ」を作ることがデザイナーの目的になってしまうことが往々にしてあります。手段の目的化案件です。

少なくともBtoB・BtoC問わず、サービスを利用してくれている人にとって、優先されるべきはサービスの改善とそのスピードです。雑な「汚いデザインデータ」の有用性が「美しいデザインデータ」のそれを超えてしまうこともあります。デザインデータをきちんと保つことはデザイナーの大きな仕事の一つですが、そこに「なぜそれをやるのか」という意識は必要です。

  • シンボルを多用しすぎて可読性が悪くなり共同作業が逆に辛い
  • 一元管理のため1ファイルのデータ容量が重すぎ、開いた瞬間落ちるor誰も開きたがらない
  • 効率化のためプラグイン入れまくっているのでチームメンバーが同一環境作るのに半日取られる
  • 外部参照しすぎているためファイルの階層構造を読み解くことから作業が始まる
  • デザインデータのメンテナンスがアウトプットより優先され、悲しみが生まれる

地獄のような様ですが、往々にしてあります。逆に非効率になり、時間を浪費することもままあるので注意が必要です。効率化のために複雑化しすぎないように注意を払う必要があります。

なんか書いていて、以前Fireworksという今は無きデザインツールで一元管理されていたプロジェクトを思い出しました。がんばってPhotoshopへの移行を画策・実行しましたが、あの時Sketchがあれば...

まとめ

デザインデータを美しくするのは「デザイナーの考える時間を増やし最終的なアウトプットの品質を担保するため」という意識が必要なのかなと思います。ちなみに僕の作るデザインデータは雑の極みです。

誰のためのデザイン?

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写真は多摩地区に現存するフクロウですが本稿には全く関係がありません

フクロウはかわいい


本題ですが

タイトルに使った名著があります

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

取り急ぎ読みましょう


なんか最近、登壇資料や営業資料なんかを

リデザインというか整える仕事が

結構あり

作業的には大変なものの

これ比較的やってく過程で正解が見えやすく迷いがなくて

なんでかなーと思ってたんですが

これ多分、誰に向けて作ってるかがすごく明確なため

どうデザインを施せばいいかが

簡単に導き出せてるんだろうな、という気づきがあります


タイトルで言い切ってる感があるんですが

結局のところ

誰に向けた何のためのデザインなのか

わかった時点で9割勝っている説があり

特に「誰に」が明確に定義しづらい

サービスデザインとかが難しいのは

そういうことです


目線を意識すること

位置を揃えること

大きさを揃えること

色を使わないこと

反復すること

削ること


表層的なデザイン手法であーだこーだすることは

習熟度にもよりますが簡単で

一番大事なのは

「誰のために」「何のために」

これらを引き出し探し出す力みたいのが

デザイナーの本質的な力量なんじゃないかな

と最近思ってます

傾聴力とでもいいますか


という記事をある土曜の昼下がり

近場のカフェで書いていたんですが

隣に座ったおじさまに話しかけられ

普通に話聞いていたら

ハイボール奢っていただき

なぜか

「ひとりでカフェとかバー行くと年上の人にだいたいなんか奢ってもらう」スキル

結構な頻度で発動するんですが

これただ傾聴力発動してるんじゃないかという

気づきがありましたが

違うかもしれません

さようなら