not simple

デザインと言葉の実験です

東京五輪エンブレム問題をデザイナーは「前向きに」語らないと。

東京五輪エンブレム問題について。

連日のように佐野氏の関わったデザインがどれこれのパクリじゃないのかと晒し上げられている。 完全一致しているものや、ものによってはどうみても言いがかりってのもあって、ため息もでない。

デザインが模倣されたものであるという実証は難しいけれど、この騒動はデザイナーにとってネガティブに作用していることは間違いない。

デザイナーの印象は悪くなり、しばらくまだ悪くなり続ける

  • 「ウェブ系のデザインやってるよ」って友人に言うと「やっぱりパクリとかってあるの?」って返される。
  • どこかの会社で働いているデザイナーが上司に「このデザイン、パクってないよね?」とか聞かれる。

容易にこんな泥の中を泳ぐような無様でつらい光景が浮かんでくる。はっきりと言われることは無いにしても、少なくともほとんどの善良なデザイナーは見えない迷惑を被ることになる。デザインは重視されるけど、デザイナーは軽視される現場とか地獄の底かって感じ。Pinterestでムードボードも作ることも憚られるとか。実際禁止令とか出てる会社あったりするんじゃ無いかなと心配になる。

グラフィックデザイン=デザインという印象が強化された

ネットで晒し上げられるものはロゴなどのグラフィックデザインのものが多いので当然、そういうイメージになる。

そもそも「デザイナーが関わる範囲はグラフィックだけではなくて、デザインはもっと広義に設計という意味で、サービスのデザイン、体験のデザイン、インタラクションの…」と、説明してもわかりづらいデザインという領域。少しずつ、少なくとも制作の現場では認識の変化を感じていたけれど、「デザイナー=絵の描ける人」の認識は強化されただろう。(※1)

デザイン業界が村社会みたいな印象を強めた

この騒動が始まったとき、高名なデザイナーやアートディレクターが、佐野氏の擁護コメント出したけれど、問題になっているデザインそのものや制作過程についての言及は少なく、過去の実績と人間性みたいな観点でコメントしてたのも、閉鎖感を逆に演出してしまった。

どちらかというとこれは広告業界の文脈で語られるところなんだけど、ことデザインの話を取り扱っている関係上、「デザイナーのコミュニティ=村」みたいな印象になっている気がする。まあ、実際多少ありますが。

この騒動をデザイナーにとって有益にするには

と、今回の騒動のマイナスの作用について書いたが、本題はこれから。こういう状況下で、デザイナーはこの騒動を契機にたくさん「前向きな」議論をしたほうが良いと思っている。

ちょっと前のブログにも書いてるけど、パクリかパクリじゃないか置いといて、シンボリックなデザインは当然かぶる確率はあがるもの。シンボリックでなくても、デザインは似たようなものができてしまうのは当たり前。これはしょうがない。じゃあ、どうしようか、って話がされて無いのが問題。

もっとデザイナーはこの件について「前向きな話」をしよう

インターネットでつながってしまった世界で、

  • 創意工夫を凝らした上でのデザインが何かと似ていた時にどうすればいいか模索したり
  • 著作権の考え方やCreative Commonsのことを改めて話し合ったり
  • (ほとんどの)閉鎖的なデザインの現場をどうオープンにしていくか議論したり
  • デザインへの理解を一般に理解してもらうために必要なことを考えてみたり

デザイナーはこの騒動をきっかけに、きちんと自分の立場を明確にして、今までの常態をどうアップデートしていくか考えたほうが良いと思う。ネガティブな反応が多いこの話題を、より良いデザインの環境にするためにポジティブに未来を模索したい。それにはまずデザイナー自身が語り合う必要がある。

この話題を腫れ物にしてはいけないよな、という話。


(※1) 最近クリエイティブエージェンシーという肩書きの人からインタビュー受けたとき、「絵が描けないんでデザインとかよくわからない」という旨の発言をお聞きしました。業界に近い人でもデザインについての理解って難しいんだな、と実感しました。