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デザインと言葉の実験です

餃子と中毒

餃子は世間でよく知られているように中毒性のある危険な食べ物です。

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餃子は麻薬

餃子のその強い中毒性によって身を滅ぼし、社会的な立場を失った人を数多見ているので、法による規制が必要であると考えているのですが、国は動いてくれません。政治とはなんなのでしょう。私にはわかりません。

最近後輩の女子に「Pairsは麻薬です」(※1)という金言をいただきましたが、餃子も麻薬です。 (※1)Pairs はマッチングサービス、まあ純然たるただの出会い系です

餃子への管理と難しさ

餃子は定期的に摂取しなければ体内の霊子が減少し、人間として個を保てなくなるという学術的な知見は存在しますが、それであれば国の仕組みとして定期的な餃子の供給、それこそ予防接種や健康診断のような枠組みを用意して餃子の体内への取り込みについては国家レベルの管理が必要と考えています。

一度摂取すると定期的な摂取が必要であり、足りなくなると人間として個を保てなくなるという点で、餃子は麻薬と同等に捉えられてしかるべきなので管理が必要です。

ですが、餃子には地域独特に発展したものや、味のバリエーションが数多存在し、それぞれに独自の信仰が存在するという独特の問題を抱えています。

都内在住の人間が「ちょっと宇都宮まで餃子食べてくる」とかいう事例を過去に何度か確認していますが、餃子というどこでも食べれる料理を各駅停車だったら2時間はかかる距離を移動して食べに行くという、この異常性はなんとかしなければならないという強い意志があります。

もちろん「餃子を食べたい」->「宇都宮で餃子を食べる」という一連の体験自体に価値を見出すというUX的な論考も期待されますが、うるせえよ、という感じで棄却します。

結論

早急に対策が必要なのは、餃子という場合によっては危険物になりうる食べ物に、国としての一貫した共通見解を与えた上で、法、つまりキングダムでいうところの「国民にどうあってもらいたいか」を作るべきだと思っているくらい今餃子食べたい。