not simple

デザインと言葉の実験です

くだらない人、零日目 / 某日 / 序

人に乞われて文を遺す。

どうにも面倒なことを頼まれたものだと後悔はしている。だが、知人として、おそらく今の彼にとっては、連絡の取れ得る唯一ただひとりの知人として、その責を全うする所存である。

これは彼に言わせれば遺書ということであるが、世間一般でいうところの遺書では間違いなく無い。資産の分配がどうとか、後継者はなんたら、という話のものでは決して無いし、そもそも分配する資産も、後継すべき地位も技術も、彼はそういったのものは一切何も、何一つだって持ち合わせていないのだから。

彼が持っていたものはたったの二つ、美しいものへの執着と愛憎だ。それだけだ。それによって己を壊し、崩し、治してはまた壊し、もはや再生せしめぬところまできたところで、不意に彼の生は終末を迎えてしまった。

彼は生前、いや、もはや生きているのか甚だ疑問とされるような状態で、私に頼んだ。彼が見て、感じ、思考し、体験して得たそれらを文として、言葉として遺すことを頼んだ。彼は元々、口達者ではなく、話せば文脈もなくあちこち飛ぶし、文を書けばおぼろげで、終始ふうわりとしていたから、僕に頼むのが最適だと思ったのだろう。

彼にとっては自身の存在を遺す、というつもりだったかもしれないが、僕に言わせれば、こんなものは思考と感情の単なる暴走の発露に過ぎない。彼の言う、「唾棄すべき美ならざる誠にくだらない」駄文が出来上がるだろうから、それを持って手向けとするものである。

以下、彼の病床で何度かの対面のもと、インタビューというほどしっかりしたものでは無いが、僕が聞き出したことをある程度の体裁を整えつつ書いていく。突然始まる世間話や、どうでもいい挨拶、そして彼自身が望まない内容は削っている。

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