not simple

デザインと言葉の実験です

くだらない人、三日目 / 月曜日 / 雑談

「僕は先日の話の続きをさっさと聞いて、この奇妙に舞い込んだ面倒な仕事をさっさと終わらせたかった。しかし、今日の面会では彼の悪癖が始まったとみえて、僕にとってはよくわからない、まるで理解しようのない話に終始してしまった。僕には、彼の美についてのあれこれは全く興味がないのだが、一日の成果がまるで無いのも、なんだか勿体無いような気がするので一応遺しておくとする。」


君は、くだらないもの、それは私にとっては大抵醜いと感じるものなのだが、それと美しいものの違いがわかるだろうか。少なくとも私にとって、徹頭徹尾完璧で完全で、全てが論理的で合理的に破綻無く進行し、帰結したモノもコトもヒトも何もかも、一つも美しいとは思わない。

私が会社勤めをしていた時分、少し長い休暇を取って、東南アジアのある島に訪れた。それはおそらく君も知っている有名なリゾート地で、私は何をトチ狂ったか、せっかくの休暇を虚飾と虚構に満ち満ちたその場で過ごすことになった。滞在したホテルでは、食事も部屋も人工の砂浜や変にぬるいプールさえも、丁寧に丁寧にすべて用意され、何も過不足なく過ごしたが、私には一切の感動も美も与えなかった。それはただ虚無だった。

しばらくして退屈に耐えきれなくなった私は、同行していた知人とホテルのスタッフが制止するのを聞かず、ホテルから五百メートルも無い地元民の住まう区域に出た。泥と汚物と廃物の町だ。スコールの降った地面の、どろどろしたヘドロのようなものは、赤い様で黒い様な不思議な色をしていた。その成分はおおよそろくでもないものだろうと、簡単に想像がついた。

そのヘドロの上に女も子供も敷物も引かず座り込んで、どこかで売るのであろう工芸品らしきものを作っていた。粗末な麻の糸と木工で細工された装飾品のような体をしていたが、それに価値を見出す人間はおそらく、浮かれた観光客か、慈悲に満ちたバックパッカーか、悪徳な美術品のブローカーくらいなものだろう。

私は先だって、美しいものと醜く、くだらないものの違いがわかるかと尋ねたが、もちろん、この取るに足らない工芸品の話をしたいのではない。先進国のジャーナリストが好きそうな、得体の知れない泥濘の中で懸命に生きようとする人間のたくましい様、みたいなものを美しいというのでもない。

私は、その人間個人の、環境、性格、思考、感情、その他、大変に多くの様々な要素に強く強く影響され「ただそれだけ、それだけしか選択肢がなかった状況で」まるで「契約され、必然を約束されたような」行動、そしてその過程、成果、それに至る生活、そんなものに美を感じてしまう。

美しいものはいつも、いつだって必然だ。必然の帰結が、それこそが美しさだと私は思う。そこには何の美しさへの追及などという、くだらない思索も意図もない。そんなものはない。皆無だ。必然の帰結をもってして、初めて開く一介の花だ。そう在らねばない、そうでなくては生きていくことすらままならない、それは人によっては惰性かもしれないが、そういった感情と思考の発露、暴走といってもいいかも知れないそれら、そういったものが私には美しく感じるのだ。

...

私は最近、おそらく、著しく脳の機能が低下していて、君に今日、本来話すべき内容を忘却してしまったようだ。君にとっては取るに足らないくだらない話だっただろう。あと数回で終わるつもりだから、懲りずに話を聞きに来て欲しい。次は水曜日か木曜日かな、また看護師に問い合わせねばならん。今度は、途中で終わってしまった美しい女性の話をしよう。すまなかったね。


「ろくでもない雑談を聞かされたと思った。だが、二割、強いていっても三割くらい、彼の人生がどうやって、正道を歩めず崩壊していったのか、その片鱗を感じるをことはできたように思う。僕は次の面会を来週以降に変更することを考えていた。」


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