not simple

デザインと言葉の実験です

SketchやPhotoshopにおける美しいデザインデータと陥りがちな罠の話

この文は自分のブログ更新滞っていると、デザイナーの同僚にブログ書いて発信しなよ!と促す時の説得力が無になるため、神の強い要請により半ば強制的に書かされているものです。なので、完全にUIデザイナー向けの話になります。

美しいデザインデータ

SketchやPhotoshopなど、デザインの作業用データについては、レイヤーやページやアートボード、シンボルやアセットなど、作業を効率化するための手段がいくつも用意されています。これらを適切に用いることで作業の効率化を図ることができます。

例えば、レイヤーやページやアートボードが適切な命名・設計をされている場合、チームメンバーに共有も無駄なくスムーズでしょうし、シンボルやアセットを活用すれば、急なUIデザインの変更や複数ページにまたがる調整・共有も効率的に行えます。

「可読性に優れ、修正変更に対応力のあるデザインデータ」というのが、ここでいう「美しいデザインデータ」です。

なぜ美しいデザインデータをつくるのか

理由としては経験上ふたつあり

  • 案件に対しての瞬発力があがる
  • デザイナーの考える時間をふやす

というのがあります。

前者に関しては、

「バナーの画像差し替え、明日までに80本どうにか」 「ページ内モジュールのレイアウト調整、明日の会議までにどうにか」 「ロゴの差し替え、今日午後一の会議までにどうにか」

というあるあるに対応できる、というのがあります。「可読性に優れ、修正変更に対応力のあるデザインデータ」があれば、少なくとも数人デザイナーがいる組織なら対応はできます。例にあげたような事案を引き起こす根本的な問題には目をつぶってください。

後者に関しての方が大事なのですが、効率的に「作業」ができることでデザイナーは「考える時間」を相対的に増やすことができます。また、適切な設計をされたデザインデータはデザイナーとエンジニアのコミュニケーションコストを下げるので「可視化されないタスク」を減少させることができます。

案件に対して、求められている明確な意図や目的を理解しないまま、大きなデイスプレイの前であれこれツールをこねくり回す、つまり盲目的に作業してしまうのは壮大な無駄である、という派閥にいるので「何がユーザーに求められ、最適解はなんなのか?」それを考える時間を確保するために、効率化されたデザインデータが整理され美しい状態が担保されているのが良いと思っています。

陥りがちな罠

ここが本題です。

ここでいう「美しいデザインデータ」を作ることがデザイナーの目的になってしまうことが往々にしてあります。手段の目的化案件です。

少なくともBtoB・BtoC問わず、サービスを利用してくれている人にとって、優先されるべきはサービスの改善とそのスピードです。雑な「汚いデザインデータ」の有用性が「美しいデザインデータ」のそれを超えてしまうこともあります。デザインデータをきちんと保つことはデザイナーの大きな仕事の一つですが、そこに「なぜそれをやるのか」という意識は必要です。

  • シンボルを多用しすぎて可読性が悪くなり共同作業が逆に辛い
  • 一元管理のため1ファイルのデータ容量が重すぎ、開いた瞬間落ちるor誰も開きたがらない
  • 効率化のためプラグイン入れまくっているのでチームメンバーが同一環境作るのに半日取られる
  • 外部参照しすぎているためファイルの階層構造を読み解くことから作業が始まる
  • デザインデータのメンテナンスがアウトプットより優先され、悲しみが生まれる

地獄のような様ですが、往々にしてあります。逆に非効率になり、時間を浪費することもままあるので注意が必要です。効率化のために複雑化しすぎないように注意を払う必要があります。

なんか書いていて、以前Fireworksという今は無きデザインツールで一元管理されていたプロジェクトを思い出しました。がんばってPhotoshopへの移行を画策・実行しましたが、あの時Sketchがあれば...

まとめ

デザインデータを美しくするのは「デザイナーの考える時間を増やし最終的なアウトプットの品質を担保するため」という意識が必要なのかなと思います。ちなみに僕の作るデザインデータは雑の極みです。

誰のためのデザイン?

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写真は多摩地区に現存するフクロウですが本稿には全く関係がありません

フクロウはかわいい


本題ですが

タイトルに使った名著があります

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

取り急ぎ読みましょう


なんか最近、登壇資料や営業資料なんかを

リデザインというか整える仕事が

結構あり

作業的には大変なものの

これ比較的やってく過程で正解が見えやすく迷いがなくて

なんでかなーと思ってたんですが

これ多分、誰に向けて作ってるかがすごく明確なため

どうデザインを施せばいいかが

簡単に導き出せてるんだろうな、という気づきがあります


タイトルで言い切ってる感があるんですが

結局のところ

誰に向けた何のためのデザインなのか

わかった時点で9割勝っている説があり

特に「誰に」が明確に定義しづらい

サービスデザインとかが難しいのは

そういうことです


目線を意識すること

位置を揃えること

大きさを揃えること

色を使わないこと

反復すること

削ること


表層的なデザイン手法であーだこーだすることは

習熟度にもよりますが簡単で

一番大事なのは

「誰のために」「何のために」

これらを引き出し探し出す力みたいのが

デザイナーの本質的な力量なんじゃないかな

と最近思ってます

傾聴力とでもいいますか


という記事をある土曜の昼下がり

近場のカフェで書いていたんですが

隣に座ったおじさまに話しかけられ

普通に話聞いていたら

ハイボール奢っていただき

なぜか

「ひとりでカフェとかバー行くと年上の人にだいたいなんか奢ってもらう」スキル

結構な頻度で発動するんですが

これただ傾聴力発動してるんじゃないかという

気づきがありましたが

違うかもしれません

さようなら

良いところを指摘する方がデザインは良くなる

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デザイナーという職業柄

クリエイティブやサービスやアプリなどなど

デザインという観点で

意見を求められることが多いのですが

こういう時って気を抜いているというか油断してると

悪いところの指摘が先行して

良いところの指摘を忘れるので

気をつけているという心がけがあります


デザインに対して

特に見た目に関しては

悪いところを言語化するのは

非常に難易度が低くやりがちで

逆に良いところを言語化するのは

難易度が高く

意識してないとあえて言わないケースが

多くなるのかなあと


デザインの

良いところを意識して言うようにしてるというのは

悪いところの改善をしやすくするためという文脈があり

悪いところだけ指摘すると

そこだけ直して整合性が取れなくなったり

逆に良いところを改悪してしまう場合があるため

良いところを指摘して認識してもらうというのは

重要だと思っています


あと

単純に

褒めてから足りないところを指摘する方が

気持ち的に改善に目が向きやすい

というのもあります

いいことを言っていますが、僕です


何か意見を言うというのは

立場はどうであれ

対象をより良くしたいとか

正しい状態に導きたいというような

前向きな前提のもとに展開されるのが

健全かなあと思っている派閥にいるので

デザインの良いところをちゃんと探して

言語化するのを

忘れないようにしたいですね


ちなみに

ちなんでないんですが

デザインのフィードバックで細かい改善案しか出てこなかった場合

それは完成に近づいてきているという指標ともなり

いいんですが

大雑把なデザイン案の最初の方から

細かいところの指摘しかしてこない人を

重箱おじさんと

呼称すると制約と誓約しています

デザインの名言≒妄言

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これはなに

最近ちょっとした勉強会で、デザインの名著と名言を織り交ぜて話したという老害感のある事案があり、かつ先日執り行われたデザイナー陣の飲みの席で名言の話が振られ、後輩からの返答に無が生じていたので、改めて名言≒妄言なものをまとめる、という実験をします。

名言≒妄言

「デザインは99%のロジックと1%のフィーリング」(Justin Newman,2011)


「デザインはそれに触れる人の感覚で良い悪いが判断される。デザインをする人、デザインに関わる人は、そういった反応を批判的に捉えがちだが(あいつはデザインをわかっていない!とかね)、それは間違っていると思ってる。あなたが今日の夜の食事に選んだレストランで、どんなにこだわり、科学的に調整され整合性のとれた料理が出てきても、口に合わなければ不味いというだろう?」(Jonan R Jenes,2014)


「デザインのプロセスに必要なものは、90%の論理的思考と、10%の気合い。場合によっては逆転する」(Kim Culley , 2014)


「デザインが本当に良い評価されているとき、だれも『デザインがいい』とは言わない」(Junya Iriyama,2010)


「最近は、デザイン思考の氾濫と僕は呼んでいるんだけれど、デザイナー自身が抽象的な方向性にすりよってしまっている気がする。本質的に、技術として、僕らが強みにしているものは、いわゆるビジュアル表現だったりスタイリングだったりするんだと思うんだけど」(Masashi Namiki,2008)


「まっとうなデザインを世に出したいデザイナーが鍛えるべきなのは、まずは思考、次に手、少し大事なのが視覚で、1番大事なのは口」(Norman Maxwell ,2014)


「誰のためのデザイン?それがわかってれば、ほとんどすべてのデザインの工程は完了しています」(Kenichi Yamagata,2008)


「UI/UX(ユーザーインターフェイス・ユーザーエクスペリエンス)デザイナーという言い方は可及的速やかに滅びろ」(出典不明)


「デザインを目的にしているデザイナーがなんと多いんだろう。これは嘆かわしく、悲哀に満ちていて、重要な問題なんだけど、多分解決には人類はまだ若すぎる気がしている。人類が地上戦から空中戦へ移行したくらいのパラダイムがないとダメだ」(Ashish L. Alexander , 1982)


「過程をどれだけ話しても、僕ら(訳注:デザイナー)はアウトプットでしか語れないんだ。でもそれが強みでもある。(出典不明)」

おわりに

人名でググってはいけません。存在しません。

全ての引用は創作であり、引用にかこつけてデザインっぽい話をするという悪ふざけ第2弾でした。

第一弾これ。

ottiee.hatenablog.com

本当にどうもありがとうございました。

北アルプス国際芸術祭、行っておいて損はない説

全く別文脈で、立山黒部アルペンルートを富山から信濃大町に抜けるという旅をしていたのですが、ちょうど信濃大町に到着した日に北アルプス国際芸術祭が初日という事態があり、軽い気持ちで寄ってみたら良かったので、これから良かったということを書いていきます。

北アルプス国際芸術祭について

shinano-omachi.jp

詳細はHPを確認してもらうとして、ざっというと、北アルプスの地域性(水、木、土、空)をテーマにした、信濃大町を拠点として5エリアで展開される芸術祭です。

  • 源流エリア
  • 仁科三湖エリア
  • 市街地エリア
  • 東山エリア
  • ダムエリア

5エリアは以上です。今回は作品が集中している源流エリアと市街地エリアを回りましたが、がんばれば1日で回りきれるくらいのボリュームです。

良かったもの

写真を撮ったので見ていきます。


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一番テンションあがったものです。レバーを引っ張って自分でシャボン玉を発生させるんですが、こういう体験型の展示は最高です。


∴ O = 1 change-and-conservation / 栗山 斉

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蔵の2階の雪が水滴を作り、1階の熱源にあたり蒸発させる、蔵の中で水の循環を表現しているのかなと思いました。


山の唄 / 大平由香理

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個人的には産道のイメージを持ちました。


ちかく・とおく・ちかく / ニキータ・アレクセーエフ

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単純にかわいい。


北アルプス 高瀬川庭園 / 高橋治希

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古民家に展開する陶器の花。


セルフ屋敷2 / コタケマン f:id:ottiee:20170610141300j:plain f:id:ottiee:20170610141244j:plain f:id:ottiee:20170610141227j:plain f:id:ottiee:20170610141213j:plain

いい感じにぶっ飛んでます。

まとめ

良かったです。

芸術祭って最近は地域活性の文脈でよく開催されていて、どこ行ってもやってるものの、当たりはずれが極端という印象があり

偶然ではあるものの、北アルプス国際芸術祭は当たりの方に入るという感想を持ちました。

肌感としては越後妻有の芸術祭に近い印象。

訪ねたのが初回&初日ということもあり

会場案内のボランティアの方も少し戸惑いつつやっていたのですが

地域の文脈が強く感じられる芸術祭だったので

次回以降も継続してくれることを願っています。

時間ある方は是非。

草間彌生展 / 低温豚肩ロース展

kusama2017.jp

行ってきたわけですが、

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終わり直前で激混みのため集中ができず、そもそも草間さんの作品は連続して急いでみるもんじゃねえなという学びもあり、またこういう時は作品よりも展示会場の体験設計について考え始めてしまい仕事モードが発生してしまう癖も相まって、魂の状態がアレしたため、肩ロースを低温調理します。

低温豚肩ロース展

少し文脈があり、老化のため休日なのに朝早く起きてしまい時間を持て余し、近所のスーパーに買い出しに行ったところ、低温調理にちょうどいい形状の豚肩ロースとの出会いがあったというのがあります。

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800gくらいです。

豚肩ロースとの出会い?脳が沸いています。


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過度な脂があると老化のため胃が破滅するので、削がれてしまったかわいそうな脂身です。


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塩と胡椒とニンニクとオールスパイスを揉み込みます。臭みが気になる時は生姜とかでもいいかも。


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生活必需品となったANOVAで60度2時間半でやっていきます。鍋が小さく、加熱ムラとか気になるのででっかい寸胴鍋欲しいなと思い始め

http://amzn.asia/ehSo1TTamzn.asia

こんなの検索し始めてるので、知人友人はそろそろ僕を止めろ。


突然ですが待ち時間に発生した赤だしの味噌汁です。

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赤だしの味噌汁、たまに飲みたくなるんですが、なぜこのタイミングであげたのかというと、美味しんぼのエピソードで味噌の種類の推しの違いにより友人関係が破綻するエピソードがあったな、と思い出し、そういう人種というか思考の持ち主は滅びろと思ったからです。


話が文脈を超え、豚肩ロースの低温調理が待ち時間に入っているため、最近の低温調理の結果が晒されることになります。

牛肩(54℃) f:id:ottiee:20170521112214j:plain

結果 f:id:ottiee:20170521112301j:plain

鶏ムネ(60℃)+温玉(65℃) f:id:ottiee:20170521112839j:plain f:id:ottiee:20170521113032j:plain

結果 f:id:ottiee:20170521113053j:plain

牛モモ(60℃)+パクチー f:id:ottiee:20170521112402j:plain f:id:ottiee:20170521113228j:plain f:id:ottiee:20170521113242j:plain

結果 f:id:ottiee:20170521112619j:plain

手慣れてきた感がありますが、人生としてはどうでしょう?


本筋に戻ります。

引き上げられた豚肩ロース(BK)。

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メイラード反応を起こしますが、これは殺菌の意味合いもあります。

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ドリップした肉汁と醤油・生姜・ニンニクでタレを作ります。

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これはそのまま飲めるくらいうまい。


ベランダのパクチーが週末を迎え始めたという文脈があり、収穫していきます。

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ベランダーでハーブ育ててる男ほんとにやめとけよ。


BK中心部まで火が通っているという理解ができます。

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合成。

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このBKについては、厚さ2cmくらいで切っても嚙み切れるくらいの柔らかさと語彙が失われるほどのうまさが確保されており、うまい。


ついに美術館巡り投稿に低温調理が侵食してきましたが、それよりそろそろデザインのこと書かなきゃダメだろってツッコミが内省されるのですが、デザインも料理も対象の本質を見抜き適切に組み合わせ、時には引くことにより、最高の結果を生み出すプロセスとして考えれば料理もデザインも[l뱝gacyŁt犮rr䚌stria殩 pat鍶௼ㆯnd멪긢g]庑di㵥ta䔕ce: 0 km. Duration: 0 놙inute氵.です。

バグった。

「カールステン・ニコライ:Parallax パララックス」

いちはらアート×ミックス2017の関連展示として、市原湖畔美術館でカールステン・ニコライの展示があり、最高だったので書き残しておきます。

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個人的には、現代アートの文脈ではクリスチャン・ボルタンスキー、ジェームズ・タレルと並ぶくらい好物です。

カールステン・ニコライはAlva Noto名義で音楽活動も行なっており、ジャンルとしては実験音楽とかエレクトロニカとかそんな感じです。坂本龍一と一緒にごにょごにょしていたりもします。なおこの記事はAlva NotoのUnivrsというアルバムを聴きながら書かれているため、テンションがおかしくなる箇所があるかもしれませんし、無いかもしれません。不思議ですね。

「カールステン・ニコライ:Parallax パララックス」@市原湖畔美術館

2017.03.18. Sat. – 05.14. Sun. カールステン・ニコライ:Parallax パララックス | 市原湖畔美術館/ICHIHARA LAKESIDE MUSEUM

展覧会が開かれている市原湖畔美術館は、新宿からバスで70-80分くらいかけて五井駅まで移動し、そこから小湊鉄道というローカル線で40分かけて高滝駅まで移動してから、徒歩で20分という都内から行くにはアクセスの厳しい場所に存在があります。非常に景観もよく充実した美術館なので2度目の訪問ですが、都内から行くには若干の気合いが必要です。

ユニディスプレイ

巨大で湾曲したディスプレイに24パターンの映像と音がランダムに投影され、永久に見ていられます。ディスプレイの両脇には鏡が設置されており、無限に続くような空間演出で、中央のベンチに 座って鑑賞すると音の振動がベンチから伝わり、さらに異空間感が強まります。パララックス、という展覧会の名前からもわかるように、多分に人間のパララックス(視差)を示唆した展示で、奥行きがわからなくなったり、直線が曲線のように見えたり、モアレが出たり、パララックスというより錯視と言ったほうが想像しやすいかもしれません。

こんな感じです。

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錯視を巨大な空間で五感で楽しむような展示です。控えめに言って最高です。

パーティクル・ノイズ / フェーズ

ガイガーカウンターと連携して音が変化するパーティクルノイズ、光の動きをテーマにしたフェーズなど、他にも作品はありますがユニディスプレイの衝撃がすごすぎて感想は無です。

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初手に大物の展示があり、そのあとの印象薄くなる、美術館巡りあるあるです。フェルメール見た後に、関連地域の画家の作品見せられても頭に入ってこないという例のアレです。

市原湖畔美術館について

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建物自体も優美で洗練されていて、湖に隣接しているため雰囲気も良いんですが、併設のレストランにも最高があるので、お昼時とかを狙って行くといいです。

f:id:ottiee:20170506200731j:plain イワシが丸々乗ってるピザ

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うまい

終わりに

市原湖畔美術館のあと、せっかく市原まできたというのもあるのでいちはらアート×ミックス2017の関連施設も回って見たのですが、2014に同芸術祭を回っていたというのもあり、あまり楽しくありませんでした。ガイドブックも薄くなり、おそらくイベントも縮小されており、2014で問題になっていた交通の便や運営の問題も解決されておらず(むしろ悪化してる)ちょっと残念な印象。

とはいえ、芸術祭巡ってる時に感動できる作品に会えるのは1・2個程度なのは常なので、今回カールステン・ニコライ見れただけで大満足でした。

最高だった(語彙が失われています)ので、

ぜひ。