デザイン禅問答
「先生、デザインにセンスは必要でしょうか?」
「それはもちろん必要だが重要ではない。デザインの素晴らしさに寄与する要素としてそれは1割、もしかしたらもっと少ないかもしれない。」
「私はデザインについて知らないということを知っています。」
「君がものごとを順序だって話すことができ、過度に破綻した思想の持ち主でなければ、君はデザインについて知っていることになる。」
「というと?」
「デザインは感覚的なものであるが論理的に構成され得るものだということだ。」
「鳥が空を飛ぶように?」
「意を得たり。彼らの体はその身を空に浮かすために極めて論理的に体を進化させたが、それを考えながら飛ぶわけではない。」
「論理的、とは?」
「すべての事柄に対して根拠と必然性を求めるものだ。」
「私はよく、ふらりと近所を散歩することがあります。これは必然でしょうか?」
「君の体と心が、窮屈でタバコの煙の充満した部屋からの脱却を願っていたなら、それは必然だったと解釈できる。」
「ですが、私はそのことを意識しません。」
「デザインの本質はそれだ。」
「わかりかねます。」
「私は君がデザインについて知っていると言った。デザインは無意識に作用するのだ。」
「無意識の必然?」
「その通りだ。デザインは感覚的ではあるが、必然的にこうあらねばならぬ、という論理的に説明可能な要素で満ちている。」
「無意識でそれをやっている。」
「君は今日歯を磨いたか?」
「はい。」
「歯ブラシの場所は?」
「洗面所の左側です。」
「それはなぜか?」
「右側には櫛を置いているカゴがあって、置くところがないのです。」
「十分な必然だ。君はデザインについて知っている。なんでもいい、ものとものの相互作用で必然的かつ論理的に、それを配置した君はデザインをしてしまった。」
「つまり、デザインは日常的に人が行うものだと?」
「意識もせずに人はデザインをする。生活を豊かにするために、無意識にいつでも。」
「私は凡人です。」
「かまわない。デザインを仕事にする人はデザインのもたらす作用を無意識ではなく、意識的に行う、それだけの違いだ。」