not simple

デザインと言葉の実験です

作り手の愛がサービスを殺す

これは結論がないため駄文です。

インターネットのサービス、特にコミュニティと呼ばれるサービスをたくさん作ってきたのですが、作り手のサービスへの愛情の過多がサービスを無にしてしまうことがあるという経験があります。

もうすこし具体化していうと、動き出してしまったサービスに作り手の強い意志、すなわち「このサービスはこうあるべき!」的な意志が介入すると、使い手であるユーザーの意図とそぐわない場合が多く、やがてユーザーは離れ、サービスはゆるやかに死を迎えるという話です。

BtoCのサービスにおいて特に顕著だと思うんですが、作ってしまったサービスがユーザーにどう使われるなんて、想像はできても予測はできるはずがないわけですので「このサービスにはこうあってほしい」という思いは作ってる時にはいいんですが、世に出たら思いは柔軟に変化するべきなのでは、と思います。

例えば少なくとも日本において、twitterが情報収集のツールとしての役割とポエムの吐き出し口としての場を兼任することになったり、Facebookがおじさんの日記として若い子に認識されたり半ばビジネスツールになるなんて、作り手は予測できてなかったはずです。使い手の自由意志がサービスのあり方を決める、というのは当たり前だけど作り手としては忘れてはいけないことなのだと思います。

ちなみに、ここらへんの話については引用のリンクが詳しくてこれは教科書に載せるべきという主張があります。 note.mu

スタートアップとかではサービスへの愛 is 創業者の想いであるべきだなと思うものの、サービス愛は本来は使い手から得られるべきであって、作り手の過剰な愛は子離れできない親が子供の健全な成長を阻害するするような感じがしてアレがアレしてアレです。

よく漫画家さんが「キャラが勝手に動き出す」みたいなことおっしゃているのを拝見しますが、サービスもこんなもので、世に出た時点で作り手の思惑なんてよそに勝手に動き出すものなんだろな、と思います。

とはいえ、作った人からみればサービスに愛着湧くし執着しちゃうのはわかるので、仕組みで解決したいところです。新規開発チームとグロースチームを分けるとか。それなりの規模が必要になってしまうので難しいところなんですが。

結論はありません。