not simple

デザインと言葉の実験です

餃子

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料理ブログだと思いましたか?残念です。

このテキストは「餃子とはなにか」という本質を問い、抽象度の高い餃子という概念に改めて実用的かつ共通認識を取れうる定義を与えるために自動記述で作成されました。

餃子とはなにか

「餃子は衝動の食べ物、あるいは衝動そのものである」(陳 曉良,1832)

このように餃子を評した偉人は存在しませんが、餃子は衝動的に食べたくなる瞬間がなぜか唐突に訪れることが知られています。今の私がそうです。餃子食べたい。その前触れのなさや思いの強さは肉体的に人を疲弊させるほどであり、そこに科学的な解を求めることは困難で、餃子に霊的な存在含まれる証左の一つとして学会では通説となっています。


餃子は霊的な力を備えている、もしくはそれそのものが隠り世の住人たちの依り代である、ということに異論のある人は存在しないでしょう。私たちは霊的なパワーが失われつつある時には餃子を食べることによって、その霊的な力を体内に取り込むことを本能的に覚えています。

これはヒトが神の手によって創られたときから少しも変わりません。すべての肉体的・精神的不調は体内の霊的な力、すなわち餃子の不足によって引き起こされるものです。あなたはどうですか?今の私がそうです。餃子食べたい。人が健康に活動し、生産し、やがて健全に土に帰るためには、餃子が必要ということです。わかりますか?私はわかりません。

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※画像は餃子がこの世に生まれる前の冷たい世界です

一方、餃子を神そのものと定義する極端な派閥も存在します。これは日本における八百万神のような、モノに宿る神という概念ではなく、唯一神としての思想のそれです。私はその定義については一定の理解を示す立場ですが、やはり少々原典を曲解している感が否めません。原典4巻551節に収録されている

「神がヒトを創られ給うた時、すでに世界には饺子(餃子)が満ち溢れていた」

という部分を論拠としているのですが、神的高次の存在であるというところは認めるものの、そのものとするには無理があると言わざるをえません。

この派閥は、餃子を体内に取り込むあの多幸感に満ち溢れた瞬間に「神を見た」という報告が定期的に教会に報告されることを論理の補強とされているのですが、豚肉や牛肉に含まれるアラキドン酸の一部は脳内でアナンダマイド(アナンダミド)という物質に変化し多幸感を与えることが知られているので、こちらはこの脳内化学物質の影響が強いものという立場にいます。あなたは今幸せですか?私はそうでもないので今すぐ餃子食べたい。


科学的な話が出てきましたので霊的高次元の話から物質世界の話に論を移すと「餃子は完全栄養食だ」と美味しんぼの山岡さんが言ってましたね。

炭水化物・たんぱく質・脂質の三大栄養素をバランス良く含みますし、本場中国では主食として消費されるので一定の理解は示すものの、やはり餃子には白米(炭水化物)かビール(炭水化物)が必要です。栄養バランスを気にせずビール飲みながら餃子食べたい。餃子は単品で食べるべきという餃子原理主義の輩は滅びを迎える。神の名において。


さあ訳がわからなくなってきましたので結論を急ぎます。このテキストにおける餃子の定義としては「餃子とは神の与えた原初の霊的存在で物質世界でも人にとって必要不可欠な存在」であり、「ヒトが穏やかな死を迎えるために定期的に摂取するべき存在」であるということが導き出されました。

抽象度がたかすぎますが、いいですか?私は良くないので、とりあえず餃子食べたい。