not simple

デザインと言葉の実験です

デザインの良し悪し、好き嫌い。

東京五輪のエンブレムデザインの盗作騒動。

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10年以上デザインを仕事にしてきて、この話題に思うところ無いわけがない。僕はこのデザインがパクリ(この言い方すごく嫌いだけど)なのか否かは知らないし興味もないけれど、この件に過度に批判的な反応をしている人たちは、東京五輪の一連のごたごたの件でうっぷんがたまっているか、もともとこのデザインが気に食わなかった、嫌いだった人たちなんだろう。そんなことをふと思っていたら、「デザイン好き嫌い」「デザインの良し悪し」について思うところを書いてみたくなった。

デザインの好き嫌い

デザインはそれが使われる背景を知り、価値を提供するためにロジカルに組み立てるものではあるけれど、どうしても好みの問題がついてまわる。それはビジュアル、要は「見た目」のデザインでは顕著だ。

好き嫌いは避けられない課題

最近音楽業界でよく比較されるLINE MUSICとAWAという音楽配信サービスがある。僕はビジュアルや世界観についてはAWAの方が好きで、LINE MUSICはややありきたりな印象があるため好きではない。Apple純正のメモアプリは変にテクスチャが残っていて嫌いだが、リニューアルされたAppleMUSICアプリは好きだ。deBuyerのフライパンは重いけどデザインが好きで、ティファールのフライパンは機能的だがなんだか見た目が気に入らない。好き嫌いってそんな感じ。どうしてもその人のバックグラウンドや感性が影響するので、デザインにおいて好き嫌いは避けられない。万人に好まれるデザインなんて存在しない。

デザインの良し悪し

良し悪しについて考えてみると、良いデザインというのは、ロジカルな思考のもときちんと整えられ、かつ使い手にマッチし、使い手にとって良い価値を提供するものだと思っている。ここでいう使い手はほとんどの場合、限定的であることが多い。

たとえば音楽配信サービスで考える

たとえばAWAは音楽を受動的に、かつおしゃれな音楽を垂れ流しで聞くみたいな体験を求めている人には、アプリを使っているときの感覚を含めて素晴らしい体験を提供している点で良いデザイン。ただ、ほとんどインフラと化したLINEに馴染み深い人にとっては当たり前のようにLINE MUSICの方が体験として分かりやすく、友人との音楽共有という新しい体験を提供できている、という点で良いデザイン。

たとえばフライパンで考える

前述のdeBuyerというフライパンで考える。なんでかというと最近買ったから。料理を美味しく作りたい人に価値のあるフライパンで、鉄製でやたら重いけど熱伝導率がよい。これは凝った料理をたまにやってこだわりのある人には素晴らしい価値を提供している点で良いデザイン。本格的な調理器具で料理を作っているという自己満足も含めて。ただ、毎日料理を手早く作り、かつ後片づけなど手早くやりたい人にとっては地獄のようなフライパンだろう。きっとテフロン加工の安いもの方がニーズを満たせるし、良いデザイン。

オリンピックのエンブレム求められるデザイン

もちろんユニバーサルデザインで言われるように、どこのどんな誰にも伝わり価値を提供できるものが理想ではある。エンブレムデザインについていうと、どこの国のだれそれにも興味を抱かせ、参加するモチベーションになり、かつ開催の意図を象徴するそれであるのが良しであると思う。それは直感的で、シンプルで、かつ誰が見ても明確な意図をもつもの。だけどそれは現実難しいところもある。ことオリンピックのような国際的なイベントになると、デザインは特にシンボリックなものを求められると思う。というかシンボリックにならざるを得ない。形状的には正円や直線を使い、複雑なモチーフ、複雑なコンテキストはできる限り排除しなければならないだろう。デザインが「かぶる」率は上がる。

音楽の旋律は出尽くした

そんな制約の中で似たようなデザインが出てきてしまうのって、もうしょうがない気はする。世界中何十億人いる中で、小さな町の小さな店舗から大きな町の大企業に至るまで、ロゴデザインなんてそれこそ無数にある。音楽でクラシックでメロディーのパターンは出尽くしたと言われてるような感覚がある。デザインは、その背景や意図や文脈で新しい価値と思えるものが提示できることが重要であるので、アウトプットの瞬間瞬間を捉えて批判するのは、それこそ新しいデザインを生み出す重い足かせになる気がしている。

その上で

  • とはいえ僕は東京五輪のロゴはあまり好きではありません。デザインの意図は理解できます。
  • 最近三角形をモチーフとしたロゴ案を作る機会があったのですが、月刊ムーのそれと完全に一致なそれを作ってしまったことに自身の闇を感じました。